夫婦関係の「虎の巻」——妻を猫だと思っていたら、虎だった

妻のことが、ずっとよく分からなかった。

嫌いなわけじゃない。

むしろ逆で、分かりたかったんだと思う。

なぜ、そんな言い方をするんだろう。

なぜ、一度こちらの気持ちを考えてから言葉を返してくれないんだろう。

なぜ、近づこうとすると離れていくんだろう。

私はどちらかというと、分からないものをそのままにしておくのが苦手だ。

仕事柄もあるのかもしれない。

原因が分からなければ調べる。

仮説を立てる。

それでも分からなければ、さらに考える。

だから夫婦関係についても、ずいぶん考えてきた。

そして最近、ものすごくくだらないところから、一つの答えにたどり着いた。

私はずっと、妻を猫だと思って接していた。

でも違った。

虎だった。


恋人だった頃は、猫だった

付き合っていた頃は、仲が良かった。

私が近づけば、妻も近づいてきた。

今風に言えば、

ニャオ。

だった。

だから結婚してから関係が変わっても、私はずっと同じ感覚でいた。

もっと話せばいい。

もっと二人の時間を作ればいい。

もっとこちらから近づけばいい。

そうすれば、いつか昔のような関係に戻れるんじゃないか。

ところが近づくたびに、

ガォ!

なのである。


ランチに誘っただけなのに

ある日、妻をランチに誘った。

「今度、二人でランチでも行かない?」

妻の返事は、

「なんで?」

だった。

……いや俺、マッチングアプリで今日初めて会った男じゃねえぞ。

16年前に一回、審査通ってるから。

しかも子ども二人いるから。

本人確認まで済んでるわ。

もちろん妻にも、妻なりの理由があるのだろう。

でも私が欲しかったのは、

「行く」

という回答ですらなかった。

「珍しいね、どうしたの?」

でもいい。

「今はあんまり行きたくないな」

でもいい。

一度だけ、

「この人は私と二人でご飯を食べたいと思ったんだな」

と、こちら側から出来事を見てほしかったのだと思う。


栗をもらって帰ったら怒られた

お客さんから栗をいただいたことがある。

ありがたく家に持って帰った。

妻は栗を見るなり、

「はぁ……。もらわないでくれ。処理がめんどくさい」

と言った。

栗である。

借金を持って帰ったわけではない。

秋の味覚である。

私は、

「そんなに嫌なら、自分で下処理して栗ご飯でも作るか」

と思った。

ところが後日。

いつの間にか、

妻が栗を下処理していた。

やるんかい。

お前、行動だけ見たら優しいじゃねえか。

なんで毎回、最初に牙を見せるんだよ。

ここで私は一つ気づいた。

妻の第一声と最終的な行動は、必ずしも同じではないのかもしれない。

「面倒!」

という最初の感情が、そのまま口から出る。

でも時間が経つと、普通に栗を処理している。

だったら、最初の「ガォ!」を、妻の最終回答だと思わなくてもいいのかもしれない。


開業すると伝えた日のこと

長く勤めた仕事を辞めて、独立することを決めたときのことも覚えている。

妻に話したら、

「私は応援しないからね」

と言われた。

なかなかの一撃である。

ところが妻も、

「あ、違う」

と思ったらしい。

そして言い直した。

「関与しないからね」

……訂正しても、そんなに良くなってねえぞ。

私は事業を手伝ってほしかったわけではない。

ただ、

「大変だと思うけど頑張ってね」

くらい言ってもらえたら嬉しかった。

一方で、冷静に考えれば、妻が正社員として働いてくれているからこそ、私は独立できた部分もある。

私はそれに、とても感謝している。

つまりここでも、

言葉だけ聞けば「応援しない」。
行動を見ると、ものすごく大きな土台を支えてくれている。

なんとも分かりにくい。


どうやら、テリトリーがある

そんな話をいくつも並べているうちに、ある共通点が見えてきた。

妻は、

「相手はなぜこうしたんだろう」

より先に、

「それによって私はどうなるんだろう」

を考える傾向が強いように、私には見える。

家に何か持ち込まれる。

予定を提案される。

スマホにアプリを入れようとする。

自分の空間に誰かが入ってくる。

すると、

ガォ!

が出る。

もちろん、これは妻を診断しているわけではない。

長年一緒に暮らしてきた夫が、自分が必要以上に傷つかないために作った、勝手な「取扱説明書」である。

そして偶然、昔やった動物占いを見返してみた。

妻は、

「動きまわる虎」

だった。

説明には、

「独自のペースを大切にする」

と書いてあった。

……おい。

ChatGPTと動物占いが同じところに着地したぞ。


私は虎を猫に戻そうとしていた

ここで、ようやく気づいた。

私は長い間、

虎を猫に戻そうとしていたのかもしれない。

昔は近づけばニャオだった。

だから、

もっと優しくすれば。

もっと話せば。

もっと二人の時間を作れば。

もっとこちらから歩み寄れば。

またニャオになると思っていた。

でも、近づけば、

ガォ。

それでも、

「近づき方が悪かったのかな」

と考える。

別の方法で近づく。

また、

ガォ。

そして傷つく。

これを何年も繰り返してきた。

でも、もし最初から、

「今のこの人は、こういう距離感を必要としている」

と考えたらどうだろう。

無理に近づかなくていい。

ガォと言われても、それを自分自身の否定だと受け取らなくていい。

第一声より、その後の行動を見ればいい。

必要なことは普通に伝える。

でも、相手を変えようとして追いかけない。

そう考えると、ずいぶん楽になった。


ニャオを待たない

ここが一番大事なのだと思う。

私は本当は、妻から愛情表現をしてもらいたかった。

たぶん今だって、してもらえたら嬉しい。

だからといって、

「もうそんなものはいらない」

と強がる必要もない。

でも、

いつか昔のようにニャオと近づいてきてくれるはずだ

と待ち続ける必要もない。

欲しい。

でも、それを自分が幸せになるための条件にはしない。

相手が変わらなければ、自分の人生まで止まる。

そんな生き方はしたくない。

扉は開けておく。

でも、こちらから引っ張り出そうとはしない。

向こうから近づいてきたら、そのときは普通に受け取ればいい。

来なければ、来ないままでも私は私の人生を生きる。


これが、私の「虎の巻」

夫婦関係について書かれた本には、

「もっと相手の話を聞きましょう」

「感謝を伝えましょう」

「二人の時間を作りましょう」

といったことが書いてある。

もちろん、それで良くなる夫婦もたくさんいると思う。

でも、近づこうとすること自体が、相手にとって負担になる夫婦もある。

そんなとき、

「もっと近づかなければ」

と頑張り続けることだけが正解ではないのかもしれない。

私が最近覚えたのは、こんなことだ。

相手を理解する。
でも、攻略しない。

必要なことは伝える。
でも、追いかけない。

第一声だけで、すべてを判断しない。

そして、ニャオを待たない。

これは妻を変えるための方法ではない。

妻が変わらなくても、私が穏やかに暮らすための方法だ。

だからこれは、

夫婦関係を改善するための虎の巻ではない。

虎と暮らす夫が、自分を見失わないための「虎の巻」なのだ。

ちなみに。

釣った魚に餌をやらない、という言葉がある。

うちは少し違う。

餌をくれないどころか、ときどき牙をくれる。

ガォ。

……はいはい。

今日も元気そうで何よりです。

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