昨日の続きです。
▼ 自由な働き方がしたい!コメディカルのための合同会社作り
コメディカルと言いましたが、別にどの分野でも基本応用できると思います。
合同会社づくり、労働者が自立して自由を奪われないようにリスクヘッジするには最強の手だと思っています。
なぜコメディカルかと言えば、シンプルに私自身がコメディカルなので、一番共感できると言いますか。
今後、コメディカルは需要に対して供給が増えて、あふれでます。
昇給もしない低賃金で働かせられる。
それが嫌なら開業。開業したところで成功率は数%になり、結局は価格競争で馬車馬のように働く。そんな世界見たくないんですよ。
元々、私の原動力に「自分の失敗を後輩や子供に聞いてもらって生かしてもらう」というものがあります。
だって、そうじゃなきゃこの世の大きな命のサイクルに乗れていない気がするんですもの。
この時代に生きた意味を見出すには、この体験を後世に残すことくらいじゃないんでしょうか。
みんなそうじゃないの?
(自己中)
だから、原始時代は洞窟の壁に絵を描いただろうし。
文字が生まれて紙が生まれて。
電子保存が生まれて。
声も録音できて。
動画もシェアが出来て。
コミュニケーションが発達したのは人類の大きな命のサイクルがあるからですよね?
何も大それたことを言っているわけではなくって。
「あなたの生きた意味はどこにあるの?」
と、聞かれるであれば、後世に何をしてあげられるのかと考えません?
うーん。話がそれちゃいましたし、これは各個人の価値観の問題なので次に進みましょう!
▼ ぎんなんたろうさん。お前は何がしたいのか?
「一生、自由でいたい!」
自由とは何なのか?
それに説いていく前にちょっと遠回りしますが…
世の中、理不尽なことばかりです。
平気でダマし奪いにくる人や場合が多々あります。
そこから守りぬき、自分の知的好奇心を満たす。
そのためのツールが「お金」なわけであって、大切なのはお金ではなく、使い方。
好奇心を見つけて、奪われずに守るゲーム。それが人生なんです。
そのゲームなのに知らぬ間に、ルールチェンジを余儀なくされてしまうことがあります。
今日のポイントはここ!
社会的強者と言われる人たちは“無自覚”に弱者たちをダマしてきます。
資本主義社会における強者は「資本家」たちですよね。
「皆が欲しいもの!資本だ!資本があるのが全て!」
「稼ぐのが是。さぁ、働きなさい!」
「私達がうらやましいでしょう?働かなくても金が入ってくる。」
という感じでしょうか。
でも、違いますよね?
人生の豊かさって、そこですかね?
「うきゃー!おもろー!」
それで良くないですか?
あの少年、少女時代の時の「あれって何でだろうー!そっかー!」
あのワクワクで生きていけば良くないですか?
そこに世渡りのための「お金」をかけ算すればいいという話。
じゃあ、お金なくてもずっと酒浸りの薬浸りの「うきゃー!おもろー!」でいいのか。
違いますよね?
受動的か能動的か、受動的能動みたいな言葉もあるぐらいに。
結局は能動的でなければならない。受け身でいれば「おもろー!」は手に入りません。
作り出したいんでしょ?
SNSで発信している人達は能動的になりたい現れなんじゃないでしょうか。
能動的に「おもろー!」ってなることに参加したいんですよね。
そこで、また強者は騙してきます。無自覚に。
「インフルエンサー!さいこー!」
「皆との価値交換で、心が満たされるよー!」
「いいね!みんなも欲しいでしょ?フォロワー!ふぅー!!」
という感じでしょうか。
いや、かすっているけど違うよね?
いいね!や、フォロワーはあくまで結果であって。
いつの間にかそれを稼ぐ方向に行っていない?
家庭菜園でも、
DIYでも、
裁縫でも、
体操でも、
茶道でも、
華道でも、
音楽でも、
なーんでも。
一人で疲れてても苦労なくできること、一つはありますよね?
それが知的好奇心を満たしてくれるもの。
それが目指すべき幸せだったはず。
おもろー!って自己満で終わってもいいのだけれど、ちょっと虚しさがある。
もしも、それを他人とシェアできたら?
最高に幸せですよね?
それを満たして奪われないように活動し続ける。
そういうゲームが人生なんじゃないでしょうか。
そこにお金が必要になる。
お金は攻めにも守りにもなりますよね。
人生のルール、いつの間にかチェンジされていることってありません?
もしかしたら他人でなく、自分自身にすら騙されている時もあったり。
時々、見落としていないか見直したいポイントです。
じゃあ、お金稼ぎの方法として3つあります。
労働者・経営者・資本家。
どれが一番「自由」を奪われるリスクが高いか。
(次につづく)
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