生きる目的って何だろう?
それを明確に答えてくれる人は誰もいなかったなぁ。
その答えを少しだけ見つけられた気がするんです。
想いのまま綴ってみようと思います。
では。
▼ 第一章 本当のFIRA、なぜお金の不安を払拭したいのか?
Financial Independence, Retire Early
(経済的自立と早期リタイア)
この真意って別に仕事辞めたい。
じゃなくって自由を得たい。
選択の自由を奪われたくない。
働いてもいいし、働かなくてもいい。
そういうお金の不安を失くしたいってことですよね?
凄くよく分かる。
子育て、開業、お金さえあればチャレンジして
あんなことや、こんなこと社会に貢献できるのに。
お金って人類が生み出した本当にすごい発明。
「フィクションの共有」を形にした。
でも、その形はまだ未完成。
いや、むしろずっと未完成なのかもしれない。
愛に形がないのと同じで。
(くさい?いや、あんがい真理よ?)
形というのは何もコインとか紙幣とか仮想通貨とか
そういうことじゃなくって、社会での循環の仕方の話。
資本主義と社会主義の論争なんて正にそう。
金持ちになりたい!という欲が経済を発展させる。一方で格差を生じさせる。
でも社会主義みたいに皆に富を一定にしたら?
もっていない!足りない!無くなるかもしれない!
そういう死への危機感がなくなってしまったら生きるのに原動力がない。
こういうことって沢山ありますよね?
互いに何かを得れば、何かを失う二面性のお話し。
(全てにおいて言える)
整体・トレーニング・リハビリの仕事をしているから人生のことはよくよく考えるし、
老若男女、全世代の人生をみてお話しできる仕事だから考えられるのかも。
本当恵まれている体験をさせてもらっています。
老後でお金の心配が全くない人、国民年金しかなくてひぃひぃしている人。
金持ち父さん貧乏父さんじゃなく、
金持ち爺さん貧乏爺さんみたいな。
もう現場レベルの第一線で現役爺さん達を沢山見ているわけです。
そりゃお金・健康・死生観のいくつものケースを覗き見させていただいているようなもので。
お金を持っているから幸せか?
持っていないから不幸せか?
先ほどの話じゃないけれど、二面性があって、何かを得れば幸せということはない。
じゃあ何も分からない?
そんなこともないみたい。
少しずつ共通点を探ると「これは間違いなさそう」という最低限が知れました。
最高点は分からない。
人生において幸せになる方法は正直知らない。
だって人によって最高点が変わるし、幸せが変わるし。
でも、最低限は知れました。
人生ってこれをしたら不幸せになれる。
不幸せどころか、生きてても死んでいるようなもの。
だからその最低限を知って、不幸せにならないための人生のルールというか、目的というか。
把握した上で自分の価値観に合う幸せを見つけることが本当の自由だと思う。
(あくまでお金じゃないよねってこと)
もしも、この最低限以下になったら「安楽死」をどうか選択できる法律にして下さい。
(切なる願い!)
本当のFIREってその人生のルール、目的を把握して備えられた時だと思う。
お金の心配がなくなったからOK!というのは違うと思う。
お金があっても孤独なら死んでしまうし。
だって使う所がなければただの紙屑であり、数字の羅列なだけ。
じゃあ一体、本当のFIREって?
ていうかFIREは経済って意味だから言葉を変えて、
その真意であろう(私が勝手に思っている)本当の生きる自立、選択の自由を手に入れるということは?
そういう言い方の方が適切かな。
次の章から私が思う「最低限」を伝えますね。
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