死生観をテーマに話していますが、あながち間違ってはなさそうです。
(30代まで生きた今のところの見解は)
今が楽しけりゃ何でもいいじゃん!的なノリは半分合っていて、半分違うと前章で説明しました。
楽しく=相手があってのこと。
でも、気付かず内に相手の生きるを奪ってしまうかもしれない。
今回は気付かず奪ってしまう怖さで、生きる歩みを止めないための注意点です。
宜しくお願いします!
▼ 生きるのが怖くなったらこの2点だけおさえて進もう
気付かすに相手を傷つけたり、時間を奪ってしまうかもしれない。
それはつまり、自分を本当の死=孤独に近づける行為なのかもしれない。
「時間を奪ってしまって申し訳ない」
「もしも、傷つけたら、もしも、つまらなかったら・・・」
そう思ってしまって一歩踏み出すことに躊躇してしまう場合も多々あるかもしれません。
でも、生きている、存在している限り黙っていても発信はしていることになる。
何もしないで価値を生み出さなきゃ死に向かってしまう。
生きるしかないんです。
怖くなったとしてもこれだけ知っておけば大丈夫です。
・そこに相手への愛があること
・自分でやり直せる所までしか進まないこと
この2点だけあればいくらだってやり直せます。
愛=聴くこと
聴き間違えちゃったらやり直せばいいんです。
でも、そこでトライするのにやり直せないところまで発信(発進)してしまったらアウトです。
例えば相手を罵る発言をして、深く傷つけ人間関係が崩れてしまったら修正不可能。
(関係切りたい相手なら、あえてそうするのも手段の一つかも)
お客様を喜ばせたい!と多額の借金して商品を仕入れたのに、負債だけ残ったらアウト。
(それ以降、ハンドル任せてビジネス一緒にしようとはなかなか思いづらい)
自分のできる、戻れる範囲を確認しつつ、相手に寄り添う。
なんかふと今頭によぎったのは「消火活動訓練」
小火を消すための消化器。
あれを使うためにまず何をしなきゃいけないか知っていますか?
「火事だー!!」って叫んで助けを呼んで、まずは「逃げ道」を確保するんです。
そう!逃げ道がなければ消火活動なんてしちゃダメ。
大火事なら真っ先に逃げなきゃいけない。
それに似ている気がします。
2点だけ踏まえた上で、いよいよ話はクライマックスへ。
「生きる目的」をお伝えします。
▼ 理不尽に備えて、価値を生み出し続けるのが“生きる目的”
目的=ゴール
目標=その指標となるもの、経過
生きるゴールなんて大それたことを言いますが、これまたあながち間違ってはなさそうです。
(30代まで生きた今のところの見解は。これ言うの二度目)
前述で火事に例えましたが、理不尽な火の粉はありとあらゆる所から降ってきます。
・病気
・相手の正義からの略奪
・老化
などなど
これらから備え、身を守って価値を生み出し続けることができたらゴール。
1.「理不尽から備える」
2.「価値を生み出し続ける」
この2点が生きる目的(ゴール)です。
1.「理不尽から備える」
この大部分を叶えてくれるツールこそが「お金」
だからみなFIREに憧れを抱くのではないでしょうか?
突然の病気にもお金があれば治療費の心配をしなくていいし。
相手が仕事や役割を奪ってきても楽々手放せて、次へとチャンスを探せるし。
人との関わりもお金があればキッカケには成り得る。
(お金だけで繋がるのは侘しいけど、キッカケにはなるよね)
でも、お金でも解決できないものがあります。
「老化」なんて良い例かと。
ここら辺は私の専門分野というところかと思います。
老化を防ぐサプリメントは既に開発されていますが、じゃあ不老不死が手に入ったところで?
死がない、終わりがない生きる道なんて苦しさしかない気がするんですがどうでしょうか?
「あー、また味わえるからいいや。」
「またこれ?つまんねー。」
一つ一つの経験が色がなく、味気もないものなったりしませんか?
終わりがあるから、もう二度と味わえないかもしれないから。
価値が帯びてくる気がします。
(いや、不死のことでなく、老化のことを言っているわけで死のことじゃないんですよ)
いやいや、老化も同じことです。
体力や思考のスピードなりできないことが増える。
いわば制限が生じてくる。
ただ制限が生じるからこそ、創意工夫しようというもの。
体力有り余る状態、ベストパフォーマンスが出せるのは素晴らしいこと。
アスリートさんなんて何億何兆円積んでも喉から手が出るほど欲しいでしょうね。
じゃあ、ベストパフォーマンスが出せて相手に勝てたり、体力や時間を無限に売ってお金にしたところで幸せなのか。
そりゃ一時は幸せでしょうね。
前人未到の快楽を底知れず味わえるでしょう。
そう、まさに底なし沼のように。
苦しさもない。
快楽という名の沼にはまり続けていく。
でもそれ本当に快楽か?
「勝つことが約束されている試合に勝って満足するのか?」
「しかも何試合も何試合も何試合も脱け出すことができない。」
ずーっと勝ち続けて、ある時パタッと死にます。
それが幸せという価値観ならそれもアリですが、その世界観なら人間じゃなくてもいいのでは?
「不便益」という言葉知っていますか?
エベレストの頂点までエレベーターで上がれるようになりました!
やったー!楽々~♪
うわー!たかーい!!こんな景色見たことなーい☆
確かに喜びが生まれることもあるかと思います。
悲しみが解消されることもあるかと思います。
でも、同時に制限から来る創意工夫をするチャンスを奪われている。
「80歳になってもエベレスト登頂成功しました!!」
「すごい!感動した!私もがんばる!」
そういう感動の連鎖すら断ち切っている。
そうです。
与えられることによって、奪われているんです。
じゃあ何をするにも奪うことになるのか?
前章でお話しした与える―奪うの境界線は?
「愛」です。
そこに「愛=聴くこと」が生まれて価値が出る。
人間が人間たらしめるものになるわけですよね。
「老化」の怖ろしいところはただ肉体が朽ちていくだけじゃないんです。
こんな風に便利になって与えられるものからも生み出されたり、
話の途中で出てきた「経験依存症」から生み出されることもあるんです。
生きるために得てきた成功体験、経験そのものが「理不尽な火の粉」となるんです。
実はこれは身体の成長と共に必然的に生じているんです。
(必ず!逃れることはできない!)
赤ちゃんが生まれて、立って、歩いて、走って、スポーツをして。
どんどん運動能力が発達していきます。
これも、成長と共に衰退を意味しているんです。
学習 = 効率が良い = 無駄を省く
あの可愛らしい赤ちゃんの拙い動きから、だんだんと動きが滑らかになっていく。
それは無駄を省いているからですよね?
じゃあ、齢を重ねて動きがだんだんと拙くなるのはなぜ?
変わらずに無駄を省いているからですよ。
使う筋肉と使わない筋肉。
使わない筋肉はどんどんと衰えていく。
脳や脊髄神経、身体としては必然的に学習するようにプログラムされている。
使えるのだけどんどんと削っていって、
無駄な動きはどんどんとしないようにする。
同じ年齢なのに若く見える人はなぜなのか?
発言とかでなく、身体能力的にね。
それは間違いなく「無駄なこと」を身体に取り入れているからです。
自分の経験を疑っているからです。
自分と自分の身体を切り離して考えて、自分の思い通りに行くことなんて“ちっぽけ”で身体の声ならぬ声に耳を傾けて、続けるという自分の意志を疑い、予め環境設定をして「無駄なこと=運動」をしているからです。
目に見えて差があるもの、無くなっていくものは備えやすいです。
例えばお金とか、髪とか。
価値が朽ちていくスピードが早いですよね?
でも、自分の身体の価値が朽ちていくのは目に見えないし、スピードも緩やかです。
身体だけじゃなく全てそうなんですけどね。
目に見えるものなんて“ちっぽけ”で、自分でコントロールできる範囲なんて“ちっぽけ”です。
身体を痛めた人の大半は言います。
あっ。ちなみに、この場合骨折や外傷などではなく、生活習慣病のような障害からくるもののこと予め断っておきますね。
「こうなるとは思いもしなかった。」
これです。
みんな、こう言います。
でも、必ず!身体はサインを出していたはずです。
その声を聴かなかった、聴けなくなったのは「あなた」
そうなるのは偶然じゃなくて、必然なんです。
だから疑うことを忘れたら危険です、と言っているのは身体の観点からも言えるんです。
きっと有能な経営者たちも同じ結論に行き着くはずです。
(私は違う観点からでしたけど、大切なことは共通しているはず)
有能な経営者たちならー。なんて知ったかぶって失礼しました。
若輩者の私が言うのは簡単だけど、実際にやるのは別問題ですよね。
本当、自分のことを棚に上げて申し訳ないです。
(書くのをやめないけど)
疑うこと=聴くこと。
相手の声や態度や空気を聴いて、自分の経験を疑うことを忘れたら危ないです。
でも人間は感情の生き物。
そんなすぐに気付いて出来ていたら、もっと悲しみがない世の中になっているはず。
じゃあ、どうしたらいいのか?
この先はただの日本の若輩者のセラピストが語る戯言です。
でも自分自身がこうして生きていきたいなぁというためにも記します。
次の章で最後ですね。
2.価値を生み出し続ける
宜しくお願い致します。
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