離婚するか、しないかの壁

生きる意味とは

昨日は「夫婦って何なのか」を分解しました。
 
もうちょっと深掘りしてもいいですか?
 
 
ここには人間の生きる上での根幹というか。
 
 
生きる上でのルールみたいのがあります。
 
 
ルールを無視しては楽しめない。
 
 
絶対、起こり得る未来。
 
 
避けられない未来。
 
 
予め用意できていたら今を楽しめそうです。
 
 
人生楽に生きたい人!カモン!!
(楽なんかないけど)
 

▼ 与えるものが無くなったら関係終わり 

私の両親は離婚しましたが、
もちろん離婚しない夫婦も知っていますよ。
 
 
妻のお父さんとお母さん。
義理の両親はとっても仲が良いです!
 
 
私たちの結婚式のDVDを見返すと必ず涙してしまう場面があります。
 
 
それは結婚式終わりにインタビューを受けている義父の言葉。
 
 
涙ぐませながら「私は・・・妻が大好きです。」って言うんです。
(ほんと今でもじんわり)
 
 
 
「いつまでも仲睦まじく」と言葉でいうより
何倍もグッときます。
 
 
 
その言葉通り、毎度妻の実家に行っても二人ともケンカしながらも仲良しで。
 
  
ケンカしながら仲が良いと言えばもうひとカップル知っています。
 
 
 
私のおじいちゃん・おばあちゃん。
 
 
父方の祖父母です。
 
 
おじいちゃんは酔っぱらうと自分のしてきた悪行をニヤニヤしながら語ります。
 
 
その語りが毎回シーンが違くて何を言っているか時系列で分かりづらい。
 
 
悪行というかいたずらっ子みたいに、人助けも仕事も挑戦し続けた内容なんですけどね。
 
 
 
おばあちゃんは「もうやめなてー!」って怒りながら制止しようとするんだけど、
おじいちゃんは「ばーか、いいんだよー!」って言いながら嬉しそうに語ってくれるんです。
 
 
 
そして、毎回最後にはこの言葉。
 
 
「こんなバカができたのも全部ばばあ(おばあちゃんのこと)のおかげなんだけどな。」
 
 
って、ヒヒヒと笑って終わるんです。
 
 
 
いつだってそこには「助け合ってきた」
お互いのリスペクトがそこには感じられるんです。

 
 
 
助け合いって「与え与えられるもの」かと私は思います。
 
 
ものや言葉だけじゃなく非言語含めて。
 
 
愛って形がない。
 
 
表現するなら「光」
  
 
相手が欲しいもの=壺だとしましょう。
 
 
その壺の形は様々。
 
 
そこに「光」を当てて形をみる。
なんなら壺の中身は分からないからそこも想像する。
それが愛じゃないかな。
 
 
 
そこは言語・非言語関係ないでしょ?
 
 
 
与えてもらいたいなら「与えなきゃ」
与えるって何か?
 
 
相手の壺に光を当てて
「聴くこと」+「届けること」

 
 
こっちのさじ加減だけで渡すのは愛じゃない。
 
 
与えるものが無くなった時に離婚するんじゃないかな。

▼ 過労で悦に入って自己洗脳

ここまで来ると夫婦関係というよりは
仕事・プライベート含めた「人間関係」の話。
 
 
うーん。長くなりそう。
 
 
これは明日に回しますね!!
 
  

ということで本日は以上でーす。
 
 
 
最後までお読みくださりありがとうございました!
 
 
  
他の話も聞いてみたい!
もし、こんな場合はどう思う?
というもがあればコメント欄に書いてもらえると嬉しいです。
 
 

昨日は「夫婦って何かな?」について
お話ししてみました。
よかったら覗いてみてください。
 
 
 
それでは! 
今日と言う日は今日のみ。
自分なりに面白い一日にしていきましょう♪
また明日ねー!

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