新社会人の過去の自分へ(後編)

ビジネスの話

さて、昨日の後半戦です。
前半戦はコチラ↓

さっそくいってみよー!

▼ 古くなっていくと価値が出るもの

新しくできた神社が安っぽく見えて、古い神社が神々しく見えるのって何でですかね?

 

 

普通の概念なら、新しくてきれいなものに価値があるでしょう?

 

 

そう考えても価値観って様々で面白いですよね。

 

 

子どもの頃には気付けない価値観がゴロゴロころがっていて、でも人間万国共通して「いいね!」という価値観が垣間見えたりして。

 

 

子どもの頃に気付けない、わけでもないか。

むしろ気付けていて心躍っていて、大人になると気付けなくなって、それを再獲得しながら表現方法を磨くというか。

 

 

子どもの頃には「表現」ができないだけかな。

 

 

 

その視点からも社会人っていうと「表現者」になる1年生でもあるのかな。

 

 

 

とかく、その表現を重ねていって「救われた」という実感を重ねていく。

できるなら多くの人の「救われた」を。

 

 

 

その「救われた」=お金/想いの両面が重なっているのが透けて見えるから、古くなればなるだけ価値が出てくるんでしょうね。

↑ 

これ大事な文よ。

 

 

 

救われた想いだけでは一瞬。

 

 

そこにコミュニケーションツールであるお金のエッセンスを交えないと、紡がれない。

 

 

 

宗教なんかはそこら辺、ガッツリがっちり押さえまくってますよね。

 

 

悩みを解消してくれる心の拠り所なわけだから、それに毎年のイベントと掛け合わせている。

人生のイベントにも。

・正月

・お盆

・結婚式

・お宮参り

・七五三

 

 

かつ、お守りを含めて「思い出してもらう」キッカケづくりにも余念がない。

 

 

うーむ。宗教すごし。

 

▼ 自分の使命を見つけよう

表現者の一年生。

 

自分で書いてて「なるほど」なんて思いました。笑

 

 

それにしても、時代は熟成されるほど、どんどんポジションは奪われて。

インフラ整備が整いまくっているこの時代は新地開拓などない気がして。 

 

 

さらに、日本のマーケットで言えば少子化で、数を稼ごうにも未来が見えない。

 

 

こんな状況で新たなる価値なんてあるの?

 

 

そう暗いイメージで苛まれる「社会人1年生」の私達ですが、

(10年以上でもいつだって1年生の気持ち)

未来への活路は見えるものでもなく、もがいて見出すものらしいです。

 

 

そこで大切なのは価値=聴くこと。

 

 

ただ、注意しなければならない点が一つあります。

 

 

相手の悩み・ニーズを聴くことに正解がないということ。

 

 

私たちの社会は「正解」を出すことに教育が重きを置かれていました。

 

 

それはそれで大切なことですよね?

  

 

点数以外で実力を推し量れるものなんてないし、正解がない世の中は、羅針盤がない海や山の中を歩いているようなもの。

 

 

 

でもでも、学校の外。

 

 

つまり「与える側」に回った時にある世界は「正解がない」ことばかり。

 

 

相手の悩みに答えるのが「正解」じゃなかったの?

 

 

そうなんです。

 

 

そこに「正解」はないんです。

 

 

じゃあ。。。

 

 

 

じゃあ、どーしたらいいんだよっっっ。

 

 

 

もう、何も残されていないじゃないか…。

 

 

 

。。。そんなことはないんです。

 

 

 

あるんです。

 

 

 

というか、元からあったんです。

 

 

 

忘れているだけなんだと思います。

 

 

 

自分達が幼少期にキラキラしていたあの気持ち。

 

 

 

あれって何ですかね?

 

 

 

やっぱり冒頭の話の「想い」「生き甲斐」になるんでしょうね。

 

 

そこに「お金」「コミュニケーションツール」の循環を掛け合わせる。

 

 

 

それがその人それぞれの“使命”なんだと思います。

 

 

 

その“使命”を表現する方法を私たちは模索しているんでしょうね。

一人じゃない場合だってあります。

 

 

 

そのワクワクの達成のために“株式会社”が存在しているように。

 

 

 

あなたの役割(手段)は何ですか?

 

  

手段(役割)を探しているのは何でですか?

 

 

 

その根本には「使命」があるはず。

 

 

 

ぎんなんたろうである、私の使命は“身体(環境)が変われば、心が変わる”をお伝えすること。

 

 

元々、健康分野で生きてきている人間ですからね。

(リハビリ、整体、ヨガ、スポーツトレーナーなどなど)

 

 

その手段としてドリンク断食を使って、食=コミュニティを手放す体験を届けること。

 

 

食べなきゃ死ぬ。本当の死は“孤独”です。

 

 

4月の新社会人になっていくこの季節に1年に1度、思い出して欲しい。

 

 

~ねばならないを壊す。手放せる大切さと。手放したからこそ気付くコミュニティの大切さを届ける。

 

 

 

その表現方法を探っております。

 

 

 

動画で届けられたらいいと今は考えているんだけど、これまたなかなか進まんです。

 

 

 

今分かっていることは、最高の商品にはしてはいけないこと。

というのは語弊があるか。

自分自身(商品)にポイントが入ると言うより、作品(使命)にポイントが入るようにすること。

 

 

作品は別の言い方をすれば、コミュニケーションツールだったり、空気を味わせる環境だったり、文化・ブランドだったり。

もう何か察してください。

(なげやり)

 

 

最高の商品にはお客様が味わうからこそ、成立するように「作品」には環境だけ設定させる。

そういうものを作りたい。

 

 

 

(はぁ?何言ってんの?)

 

 

格式高き評価者が自分のフィルターに染めたいがゆえに、メッセージの交換を無視して、正論ぶちかまして非難してきたりします。

それがもしかしたら自分自身だったり…。

 

 

こわいですよね、表現するの。でも。

 

 

 

もがき、あがく。

 

 

 

表現者1年生(いつだって)

 

 

 

お互いがんばりましょうね。

▼ まとめ

☆ 社会人とは「与える側」にまわること

☆ 残る、続く、繋がる、紡がれる「文化」には「お金/想い」が両立すること

☆ 自分の使命を表現することこそ「与える側」の人間

自分の使命と向き合うのは、自分の嫌な面も直視することになるだろうし、裸の自分を評価されることにもなるから怖い。怖いけれど、がんばりましょうねー!!

ということで本日は以上でーす。

前半・後半の長きにわたり、ありがとうございました!

そして、最後までお読みくださりありがとうございました!
 
 
  
他の話も聞いてみたい!
もし、こんな場合はどう思う?
というもがあればコメント欄に書いてもらえると嬉しいです。
 
 
 
それでは! 
今日と言う日は今日のみ。
自分なりに面白い一日にしていきましょう♪
また明日ねー!

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