昨日は思考の老いを伝えました。
今日はその若返り方!
どうぞ!
▼ 若返る人はこうしている
身体が老いたとしても
この人は心が本当に若いなぁ。
ハッピーだなぁ。
そういう方もいるじゃないですか?
(もちろん、そうじゃない場合もいっぱい見てきてます)
その差ってなんでしょうか?
それは「役割」を上手に手離しているんです。
いい例で言うと、子離れでしょうか。
私なら二児の父です。
父という「役割」を演じています。
それを子供たちが中高生になった時、
いつまでも父親をやっていたらどうでしょう?
子ども達からすると「うざい」でしょうね。
社会がみえてきて自分もいつかはひとりの社会人として
「役割」を半ば強制的につけられる。
そんなプレッシャーがうっすら感じる中、
自分でも自立したいけれど、経済力はまだ未熟。
気持ちを発したいけれど、語彙力も表現力も乏しい。
それをトップダウンのように、
上から支持される父親を演じているやつがいる。
そりゃ「うざい」ですよね。
反抗期って言葉は親目線ですよね。
あれは反抗じゃなくって、自立への成長期です。
社会人として認めつつ、サポートしてあげる時期なやつです。
「父親」なんてちっぽけな役割は手離しちゃえばいいんです。
(その場になったらできるか分からないけど)
と言う具合に、早々に「役割」を手離しちゃえる身軽さって強くないですか?
その身軽さこそが「若返り」老いない秘訣なんだと最近気づきました。
さらに気付いたことがあって・・・
▼ 受信者を常に探している
でも、みんなが持っている「役割」は、血と汗と涙の結晶であるかもしれない。
仕事だったら超重要な役職は、
本人や周りを殺し合いの一線を
戦い抜いての「成功」かもしれない。
それを身軽に手離せますか?
会社って自分の子どもと同じ。
(って考えられますよね)
その会社を身軽にぽーんっと
他人にあげられますか?
普通、できない。
手離したが最後「自分が自分じゃなくなっちゃう。」そんな気さえして、認知症やうつ病になっちゃう人だっているでしょう。
でもね。
最近、気付いたんです。
手離せる人はこれに気付いているんだって。
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生命として存在している限り
発信者という「役割」から逃れられない
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決して手離せない逃れられない「役割」「役目」とも言うのかな。
それがあるんです。
「発信者」だということ。
言葉を発していなくても、
ただただ座禅を組んでいても、
その場にいるだけで「発信者」になっちゃうんです。
生きているだけで
どんな形にせよ
発信しつづけている。
そして、人・モノ問わず、
私たち人間は受信者を探しつづける。
ほら、自分の話を熱心に聞いてくれる人って
誰しも好きになっちゃうでしょ??
「発信者」という役割を果たせる環境づくりの方が
どんな役割よりも大切であって苦しみから解放される道です。
逆の視点から言えばー。
最高のおもてなしって「受信者」になること。
みんながみんな「発信者」という役割を果たしたがっているのだから「受信者」になれば100%喜んでくれます。
SNSならコメントで反応してもらえると嬉しいでしょ?
(あなたはどう?)
何かをプレゼントしたり、
豪華絢爛きらびやかなものを見せたり、
そういうこともいいけれど。
そうじゃないこともいい。
ただ「受信者」になる。
それが相手へのプレゼントになるってことですよね。
最近、それに気付きました。
そう言えば奥さんの話を熱心に面白がって聞いてないなぁ。
身近な所から見直しましょう。
▼ まとめ
☆ 手離しづらい「役割」がある。
☆ 生きている限り手離せない「役割」=発信者であること。
☆ 老いない人は「受信者」になれる人
ということで本日は以上でーす。
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