「もう、やめたい」
チームメンバーなり
後輩なり
子どもなり
そう言われた皆様はどうしますか?
ある時、家に帰ってくるなり
手紙が置いてあるんですよ。
写真↓
なるほどね~。
リーダーの立場なら色々と重なる部分もあるかと思います。
人がやめたいという時、
色んな場面があると思いますが
一つの例として参考になるところがあるなら幸いです。
どーぞー
▼ そもそも論を見直す
手紙をもらった日は9才娘からも何も言わなかったので
そのまま過ごしましたが、次の日に
「ねぇ、あれみたよ。」
『うん。』
「やめたいの?」
『うん。』
怒られるかな風な感じで口数が少ないので、
「そっか。分かった。
やめるのも大丈夫だよ。」
「2年間もやっていたけど、
やっててよかったこととかあるの?」
その後、ぽろぽろと
自分の現状を話し始めます。
・宿題の量が多くなった
・間違える所が直らない
・難しくなってきて辛い
・算数の苦手はなくなった
・足し算引き算はできるようになった
ここで「できたこと」に目を向けました。
「おぉ!苦手じゃなくなったのはすごいね!」
そこで話は一旦切り。
(けっこーこれもテクですよね)
後日、夫婦で話しました。
いつも宿題を見てくれているのは奥さん。
「そもそも公文を始めたのは
家ではできないから。」
「経験数を稼げないと算数がどんどん
苦手になると思ったから。」
「今の先生、宿題量を増やさないでって
言っているのにだんだん増えている。」
なるほどね。
みなさんは分かりましたか?
▼ 環境から考えること
子ども・奥さんの立場は分かりました。
では、コーチの立場になると?
一生懸命、子どもが勉強を好きになるお手伝いをしたい!
公文の先生も、教室ごとに全然ちがうから
そのお教室では若干熱血漢はありました。
最初は良かったんです。
どうしても「届けたい」気持ちが強いみたい。
宿題の量もだんだんと増えていって。
そこから母親としては「話ちがうじゃん」
ただ先生としては良かれと思って。
たとえばー。
掛け算の繰り上がりには計算式のところに
ちいさい文字を入れて忘れないようにするのも
公文の先生は「書いちゃダメ」
親は「学校では書いていいよ」
・・・。
子供もそれじゃあ混乱しますよね。
さらに、ここらで親と先生との間にも溝ができていて・・・
そんなの子どもも察するじゃん?
つまり大切なのは個人もそうですが、
特に未成年は「環境=家族」の配慮も必要なんですね。
今回はコーチの立場として勉強になりました。
▼ 結局、どうなったか?
本人のできるようになったことを確認して、
夫婦間で共通認識にができたら
9才娘と再度話をしました。
「公文に行って算数が苦手じゃなくなったでしょ?」
『うん。だからもうやめていいでしょ?』
「でも今つまらなくなっちゃっているところは
掛け算の繰り上がりでしょ?
ママとも話したけれど、かけ算・割り算はすらすら
間違えがほとんどないようにできるようになると
今は嫌かもしれないけど、あとあとやっててよかったなぁ。
って、なると思うんだよ。」
『でも問題がいやなの。』
「問題は変えられないよ。学校だって、ドリルだって、学研だって、
問題はどんな形になったって同じように出てくるよ。
変えられるのはその問題を解決してくれる人や場所。」
『・・・。』
「だからさ、今の公文の場所を変えてみてさ。
別の公文でもいいし、学研でもいいし。
かけ算・わり算もスラスラできるようになったらやめるのはどう?」
『うん。わかった。』
という具合になりましたー。
・今は嫌だろうけど後々も問題は変えられない
・やっててよかったなぁと思えるのはちょっと先
そんな状況だったので課題や問題からは目を背けないけれど、
方法はいくらでもあるから一緒に探しましょうか!
というのが今回の結論でした。
さてはてどーなることやら。
▼ まとめ
コーチの立場
・親(や周り)も含めた環境を配慮して課題を出す
・理想は別にして、できること、ちょっと頑張ればできることを課題に出す
親とはまた別視点のところでも
今回は大きく学ばせてもらいました。
とにかく聴くことと、
今は嫌だろうけど相手も先をイメージできて納得した上での課題と
そうでない場合は全然取り組み方が違いますよね。
気をつけまーす。
ということで本日は以上でーす。
最後までお読みくださりありがとうございました!
他の話も聞いてみたい!
もし、こんな場合はどう思う?
というもがあればコメント欄に書いてもらえると嬉しいです。
昨日は「音楽と筋トレ」について
お話ししてみました。
よかったら覗いてみてください。
それでは!
今日と言う日は今日のみ。
自分なりに面白い一日にしていきましょう♪
また明日ねー!
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